神奈川県立近代美術館葉山にいってきた。
『彫刻家エル・アナツイのアフリカ』展。
twitterでピーター・バラカンさんがおすすめしていたので、行ってみたくなった。
わたしはよくこの美術館に行く。
同じ建物、同じ間取りに、展示会ごとに違う美術作品が飾られる。
ひいきの美術館があるとそういうのが楽しいな、と思う。
同じ場所なのに違う奥行き。「場所」ってすごいことだよね。
だって地震が日本の島(ほぼ)ぜんぶを揺らしたから、あの一体感が生まれたんだよね。
体で感じたんだよ。
土地をまっとうする、ってなんだろう。
生まれ育った土地の食べもの、水、を口にできないってなに?
ところでエル・アナツイ。
すばらしかった。
空き缶をつぶしてつなげる作業ひとつひとつは緻密なんだけど、作品ひとつひとつが大きい。
材料は現代を暗喩する空き缶なのに、手法はアフリカの伝統の布の織り方。
絢爛なのに、おひるねしそうにゆったり。
なにより木の彫刻や空き缶の織物すべて、色と形のリズムが心地よくて、
作者の目がそうとう良いんだろうなって思う。
エル・アナツイさんのビデオインタビューも見たんだけど、
おだやかで優しそうなひと。
その人柄が作品に滲み出るのかなあ。
作品は、アナツイさんの工房で、お弟子さんが何十人も集まって作るらしい。
しかもお弟子さんはいつ来ていつ帰ってもいい。なんていうか、地元に根づいてアートを作っている。
アフリカの伝統を新しい技術で編み直すことと、作品の生み出し方が、きれいに調和してる。
こうふんした私は売店でアフリカらしい顔の模様の缶バッジを買っちゃった(アフリカらしい、でインスパイアされる型にはまった見方を、この展示は否定してるとも言えるけど、お土産ものにはこの表現でもいいかな)。
ひさしぶりにすてきなおさんぽをした。
親戚が福島と岩手にいる。岩手のどこかっていうと、津波の被害が映画みたいにすごくて、よくテレビで映像が流されていた釜石。福島も浜通りではないとはいえ、とても心配だった。
幸いなことに親戚はどうやらみんな無事らしい。連絡をとれてないひともいるけど、Googleさんのおかげで安心できた。それにしても初めは焦って、慣れない停電のこともあって、家族を守んなきゃって(いっちょまえに)思って、キーッってなってしまった。
でもこういうときにどういう言葉が出てしまうか?出せるか?で、その人のことって大体分かっちゃうんだと思う。ほんとうにおそろしい。すごく考えなきゃならない。
これで疎遠になる友だちもいるかな。さみしいな。
でも変わらず友だちでい続けるひともいる。ありがとう。心からね。
だからね、象のように忘れないで毎日を過ごしていきたい。
例えば、きょう、家に新しいhi→が届いた。できたてほやほや。
これがわたし(たち)の希望なんだ。
毎日じぶんと戦ってる。同時に、毎日忘れてる。
数ヵ月後にはふつうの顔して、せっかくの小さな決意を、踏みにじってるのかな。
暮らしてくしかないんだよね。
わたしの大切なものを、更新して、続けてくしか、ないんだろうね。
ものすごい量の情報に溺れないように。
じぶんの言葉を。