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2011/05/01

わがやは玄関にシンボルツリーというのが植わっている。
家の顔となる樹。

なににするかずいぶん悩んだけど、
南国原産で、
春から初夏にかけて
白い小さい花をつけるこの樹を選んだ。

この樹の名前、ハイノキという。
今年はよく咲いてくれました。

そして気づいたんです!
「hi→の樹」と同じ音だって!

ちょっぴり嬉しい投稿なのでした。

2011/03/26

山下菊二 コラージュ展

神奈川県立近代美術館鎌倉別館にて。
長いなまえなのでつい略さずに書いてしまう。

葉山館と鎌倉館には行ったことがあったけれど、
別館はハジメテ。

鶴岡八幡宮を越しててくてく歩いて、
あれえ道はこれでいいのかな?と思った瞬間、道案内の標識が。
見透かされたね。

別館の隣はイタリアンのレストランらしく、居心地がよさそう。
こんど行ってみよう。

展示には混乱させられた。

黒を基調としたコラージュにときたま蛍光色が入り、目に楽しい。
紙のきっぱりした配置。

でも、主題は狭山差別事件なのだ。
これを美しいと感じてよいのか、混乱した。

今世の中で起こっていることと、この事件が、どうにも重なって見えたり。

作家はこの事件を通じて、大きいものに圧される小さいものを描くんだけど、
その緊張関係がきれいに見えてしまって。

だから、そういうことじゃないのだ。
暴く、という姿勢は、必ずしも泥にまみれていなくてよいのだ。

まだ私は考え中です。

2011/03/23

彫刻家エル・アナツイのアフリカ

神奈川県立近代美術館葉山にいってきた。
『彫刻家エル・アナツイのアフリカ』展。

twitterでピーター・バラカンさんがおすすめしていたので、行ってみたくなった。

わたしはよくこの美術館に行く。
同じ建物、同じ間取りに、展示会ごとに違う美術作品が飾られる。
ひいきの美術館があるとそういうのが楽しいな、と思う。
同じ場所なのに違う奥行き。「場所」ってすごいことだよね。

だって地震が日本の島(ほぼ)ぜんぶを揺らしたから、あの一体感が生まれたんだよね。
体で感じたんだよ。

土地をまっとうする、ってなんだろう。
生まれ育った土地の食べもの、水、を口にできないってなに?

ところでエル・アナツイ。
すばらしかった。

空き缶をつぶしてつなげる作業ひとつひとつは緻密なんだけど、作品ひとつひとつが大きい。
材料は現代を暗喩する空き缶なのに、手法はアフリカの伝統の布の織り方。
絢爛なのに、おひるねしそうにゆったり。

なにより木の彫刻や空き缶の織物すべて、色と形のリズムが心地よくて、
作者の目がそうとう良いんだろうなって思う。

エル・アナツイさんのビデオインタビューも見たんだけど、
おだやかで優しそうなひと。
その人柄が作品に滲み出るのかなあ。

作品は、アナツイさんの工房で、お弟子さんが何十人も集まって作るらしい。
しかもお弟子さんはいつ来ていつ帰ってもいい。なんていうか、地元に根づいてアートを作っている。
アフリカの伝統を新しい技術で編み直すことと、作品の生み出し方が、きれいに調和してる。

こうふんした私は売店でアフリカらしい顔の模様の缶バッジを買っちゃった(アフリカらしい、でインスパイアされる型にはまった見方を、この展示は否定してるとも言えるけど、お土産ものにはこの表現でもいいかな)。

ひさしぶりにすてきなおさんぽをした。

親戚が福島と岩手にいる。岩手のどこかっていうと、津波の被害が映画みたいにすごくて、よくテレビで映像が流されていた釜石。福島も浜通りではないとはいえ、とても心配だった。

幸いなことに親戚はどうやらみんな無事らしい。連絡をとれてないひともいるけど、Googleさんのおかげで安心できた。それにしても初めは焦って、慣れない停電のこともあって、家族を守んなきゃって(いっちょまえに)思って、キーッってなってしまった。

でもこういうときにどういう言葉が出てしまうか?出せるか?で、その人のことって大体分かっちゃうんだと思う。ほんとうにおそろしい。すごく考えなきゃならない。
これで疎遠になる友だちもいるかな。さみしいな。

でも変わらず友だちでい続けるひともいる。ありがとう。心からね。
だからね、象のように忘れないで毎日を過ごしていきたい。

例えば、きょう、家に新しいhi→が届いた。できたてほやほや。
これがわたし(たち)の希望なんだ。

毎日じぶんと戦ってる。同時に、毎日忘れてる。
数ヵ月後にはふつうの顔して、せっかくの小さな決意を、踏みにじってるのかな。

暮らしてくしかないんだよね。
わたしの大切なものを、更新して、続けてくしか、ないんだろうね。

ものすごい量の情報に溺れないように。
じぶんの言葉を。

2011/02/18

インドのひとに間違われた

2月9日・10日に短期のアルバイトをした。
募集要項には「バレンタインのチョコレート販売」とあった。

だから、てっきりデパート1階特設売り場かなんかできれいにラッピングされたチョコレートを売るお姉さんを想像していた。甘いにおいがするのかしら!とミーハーな思いで応募したのだ。

ふたを開けてみたら、生クリームを売るアルバイトだった。スーパーの冷蔵食品売り場の横で立ちっぱなしである。つまり試食のおばさんだ。

生クリームの試食販売というのは珍しいけれど、《バレンタインに手作りお菓子をご家族で!》という謳い文句のもと、小さく刻んだスポンジケーキに生クリームをまぶしてお客さんにふるまった。

その生クリームがくせものだった。朝早く職場に出てじぶんで泡立てなければならない。もちろん機械の泡だて器は使えない。腕が攣るかと思いました。

隣でチーズの試食をしているおばさんがパサパサのビスケットに乗せたクリームチーズを一日に何回もくれて、仕事中だし要らないよう、と思いながら断りきれず、むせた。すごく人懐こいおばさんで、わたし太ってるけど胸は大きいのよう、やわらかいでしょう、と言いながらわたしの腕をつかみ、胸をさわらせるのだ。ほんとうにさわりごこちがよくて低反発枕みたいだった。

おでこが出ないよう白い三角巾をしていた。そしたら、ある初老の男性に「あなたはインドのひとですか?」と尋ねられた。おでこは広いけれど、ざんねんながら、違う。

総じて楽しいバイトでしたが、数日後の本日(18日)、声の出しすぎでのどを痛め風邪をひいております。

2011/02/09

幽体の知覚展

病気や事故で腕や脚を失くしたひとは、その失くした腕や脚に、なぜか痛みや痒みを感じるらしい。無いところに感じるのだ。ふしぎだね。

それを医学用語かなんかで「幽体(phantom)」っていうんだそうだ。

というわけで森美術館でやっている小谷元彦「幽体の知覚」展にいった。連れのひとの体調がわるく、ギャラリートークをひとりで聞くことに。

「幽体の知覚」ということばから《目で聴き耳で観る》というような展示を想像していた。
けれどもどうやら《五感を掻き回す》という趣旨ではなかった。

小谷さんは彫刻の出身だけど、動かない輪郭をもつ彫刻を脱出しようと試みているらしい。動物の動いた軌跡を形に表したり。滝の映像を編集することで、彫塑できないはずのものを「彫刻」したり。

まだ若い作家さんだからか、テーマがたーくさんある。
たくさんのテーマが並列している。ダブルミーニングのひとである。

つまり、彫塑できないはずのものを彫刻することが、知覚できない/忘れてしまったはずの感覚を呼び起こすことと、つながるのだ。

美術館は考えて観るとたのしい。そして観るだけのたのしみとつながるのがいちばんいいと思う。

真っ白い部屋にあった、一見するとただぶらさがっているビニールみたいだけど、光をあてると影がおんなの幽霊みたいなやつが、すきだったな。

2011/02/05

動物園

hi→の句会。井の頭公園の動物園にて(文字に起こしてみると「園」が重なっていて変なかんじだ。「回」みたいなイメージかしら)。

こどもではないおんな3人で歩く。
併設の小さな遊園地ではしゃいだり、キノコのオブジェで記念写真を撮ったり、モルモットを抱きかかえたり(これも文字に起こしてみると「抱」き「抱」えるなんだな)。

マーラというカンガルーとウサギの合いの子のようなどうぶつが、だるまさんころんだをしているみたいに、みんなで一つの方向を見つめて動かない。しかし鬼はいないのであった。あれはにんげんには無い間合いだなと感じ入る。

象のハナコさん。おばあちゃんだから、鼻の皮膚がすっかりこすれて白くなっている。にんげんには「人生の大先輩」ということをあまり意識しないのだけれど、ハナコさんは完全なる「人生の大先輩」だった。でっかくてあったかいのだ。でも、ハナコさんは若かりし頃ひとを殺したことがあるらしい。

そして、夕暮れどきから始まった大友良英の水上ライヴを観る。
みなもに映る薄紅と、その上を渡る水鳥たち。
みんなでおでんやアメリカンドックや甘酒であたたまりつつ、岸で観る。
わたしはなんだか寝てしまった。ノイズがきもちよかった。

帰り、吉祥寺の「Amar」というカフェで、もうひとりと合流。
ここで句会。
おんな4人でゴハンとケーキ。

***

寝て起きて6日の朝になる。

小さいころは井の頭公園の動物園によく遊びに行ったな、と思い返す。
わたしのお目当てはモルモットだった。
ちいさくてあたたかいやつをもふもふするのが好きで好きでたまらなかった。

大きい動物はあんまり得意じゃなかった。
例えば象の檻。近づくと糞のにおいがすごくて、お父さんは花形である象を見せたそうにしているのに、じぶんから離れていってしまった。

あれっと思う。
わたしが小さいころに嫌がった象は、もしかして、きのうのわたしが敬愛した、ハナコさんなのではないか。

なんだか恐れ入ってしまった。