2011/02/18

インドのひとに間違われた

2月9日・10日に短期のアルバイトをした。
募集要項には「バレンタインのチョコレート販売」とあった。

だから、てっきりデパート1階特設売り場かなんかできれいにラッピングされたチョコレートを売るお姉さんを想像していた。甘いにおいがするのかしら!とミーハーな思いで応募したのだ。

ふたを開けてみたら、生クリームを売るアルバイトだった。スーパーの冷蔵食品売り場の横で立ちっぱなしである。つまり試食のおばさんだ。

生クリームの試食販売というのは珍しいけれど、《バレンタインに手作りお菓子をご家族で!》という謳い文句のもと、小さく刻んだスポンジケーキに生クリームをまぶしてお客さんにふるまった。

その生クリームがくせものだった。朝早く職場に出てじぶんで泡立てなければならない。もちろん機械の泡だて器は使えない。腕が攣るかと思いました。

隣でチーズの試食をしているおばさんがパサパサのビスケットに乗せたクリームチーズを一日に何回もくれて、仕事中だし要らないよう、と思いながら断りきれず、むせた。すごく人懐こいおばさんで、わたし太ってるけど胸は大きいのよう、やわらかいでしょう、と言いながらわたしの腕をつかみ、胸をさわらせるのだ。ほんとうにさわりごこちがよくて低反発枕みたいだった。

おでこが出ないよう白い三角巾をしていた。そしたら、ある初老の男性に「あなたはインドのひとですか?」と尋ねられた。おでこは広いけれど、ざんねんながら、違う。

総じて楽しいバイトでしたが、数日後の本日(18日)、声の出しすぎでのどを痛め風邪をひいております。

2011/02/09

幽体の知覚展

病気や事故で腕や脚を失くしたひとは、その失くした腕や脚に、なぜか痛みや痒みを感じるらしい。無いところに感じるのだ。ふしぎだね。

それを医学用語かなんかで「幽体(phantom)」っていうんだそうだ。

というわけで森美術館でやっている小谷元彦「幽体の知覚」展にいった。連れのひとの体調がわるく、ギャラリートークをひとりで聞くことに。

「幽体の知覚」ということばから《目で聴き耳で観る》というような展示を想像していた。
けれどもどうやら《五感を掻き回す》という趣旨ではなかった。

小谷さんは彫刻の出身だけど、動かない輪郭をもつ彫刻を脱出しようと試みているらしい。動物の動いた軌跡を形に表したり。滝の映像を編集することで、彫塑できないはずのものを「彫刻」したり。

まだ若い作家さんだからか、テーマがたーくさんある。
たくさんのテーマが並列している。ダブルミーニングのひとである。

つまり、彫塑できないはずのものを彫刻することが、知覚できない/忘れてしまったはずの感覚を呼び起こすことと、つながるのだ。

美術館は考えて観るとたのしい。そして観るだけのたのしみとつながるのがいちばんいいと思う。

真っ白い部屋にあった、一見するとただぶらさがっているビニールみたいだけど、光をあてると影がおんなの幽霊みたいなやつが、すきだったな。

2011/02/05

動物園

hi→の句会。井の頭公園の動物園にて(文字に起こしてみると「園」が重なっていて変なかんじだ。「回」みたいなイメージかしら)。

こどもではないおんな3人で歩く。
併設の小さな遊園地ではしゃいだり、キノコのオブジェで記念写真を撮ったり、モルモットを抱きかかえたり(これも文字に起こしてみると「抱」き「抱」えるなんだな)。

マーラというカンガルーとウサギの合いの子のようなどうぶつが、だるまさんころんだをしているみたいに、みんなで一つの方向を見つめて動かない。しかし鬼はいないのであった。あれはにんげんには無い間合いだなと感じ入る。

象のハナコさん。おばあちゃんだから、鼻の皮膚がすっかりこすれて白くなっている。にんげんには「人生の大先輩」ということをあまり意識しないのだけれど、ハナコさんは完全なる「人生の大先輩」だった。でっかくてあったかいのだ。でも、ハナコさんは若かりし頃ひとを殺したことがあるらしい。

そして、夕暮れどきから始まった大友良英の水上ライヴを観る。
みなもに映る薄紅と、その上を渡る水鳥たち。
みんなでおでんやアメリカンドックや甘酒であたたまりつつ、岸で観る。
わたしはなんだか寝てしまった。ノイズがきもちよかった。

帰り、吉祥寺の「Amar」というカフェで、もうひとりと合流。
ここで句会。
おんな4人でゴハンとケーキ。

***

寝て起きて6日の朝になる。

小さいころは井の頭公園の動物園によく遊びに行ったな、と思い返す。
わたしのお目当てはモルモットだった。
ちいさくてあたたかいやつをもふもふするのが好きで好きでたまらなかった。

大きい動物はあんまり得意じゃなかった。
例えば象の檻。近づくと糞のにおいがすごくて、お父さんは花形である象を見せたそうにしているのに、じぶんから離れていってしまった。

あれっと思う。
わたしが小さいころに嫌がった象は、もしかして、きのうのわたしが敬愛した、ハナコさんなのではないか。

なんだか恐れ入ってしまった。